私はこれまでに何度か幽体離脱した事がありまして、この世とあの世の境目であるといわれている「三途の川」を一度だけみた事があります。

そうなんです、「三途の川」って本当にあるんですよ~。

ちなみに最初に幽体離脱したときのお話をご紹介いたします。
(当ブログの最初の記事でもご紹介した事があります)

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▼初めての幽体離脱

私がまだ20代の頃の体験です。
寝室で寝ている時に、いきなり目が覚めたかと思うと、目の前がなんと天井(!)という全く理解出来ない状態になっていた。しかも自由に動くことが出来ず、少しずつ体を動かし、おっかなびっくり下を覗くと、案の定の展開が。

既にお気づきと思うが、下には寝ている自分がいました。

プチパニックになりかけたところで、凄い光りと衝撃とともに、一瞬にして別の場所に移動してしまった。霧なのか雲なのか分からないが、そこはモヤモヤしていて周りがみえないところで、自分が立っているのか、寝ているのか、自身の状態も分からない、なんとも不思議な感じであった。そしてしばらくすると、ようやくモヤが少しずつ晴れてきて、周りの様子がみえるようになってきた。

周りが見えはじめてくると、どうやら自分は立っていた事が分かりました。
周りをみると、なんだか懐かしい風景が拡がっていました。
遠くには氷河をのような氷だけの山々が連なっており、目の前には新緑の色の森があって、地面は真っ白な土(?)。
なぜ、この風景が懐かしく感じられたのかは、分かりません。が、そのように感じたのは確かで、安心感があり、あたたかい雰囲気でした。
前に進んで行くと、キレイな河原に着きました。

川はそれほど大きくは無く、向こう岸には、透明(?)の橋を渡って行けるようだ。
その橋に行ってみて分かったのだが、橋を渡った向こう岸の風景に懐かしいとか、見覚えがあるとか、デジャヴュとかいう曖昧な感覚ではない、ハッキリとした想いが湧き上がってきた。それは。

この先に自分の家がある!

何故なのかは分からないが、そんな想いが湧き上がってきた。
そして、ゆっくりと橋に向かい歩き出そうとしたところ、突然声が聞こえてきた。

「まだお前が戻るには早い。」

その声が聞こえたと同時だろうか。
突然、もの凄い光と音と衝撃が襲ってきた。例えるならば、雷の中にいるような感じだろうか。
そして、気がつくと、私は横になっていた。どうやら布団の中のようだ。
目の前には、天井があるが、今度は普通の高さにある事が分かった。
これは、どういうことなのか?戻ってきたということなのか?
そして、あの場所はいったい何であったのか?

あまりにも非日常的な出来事に、しばらくボーッとしていたようだ。
我に帰り、時計をみると午前4時を過ぎた頃であった。

これが幽体離脱を最初に経験し、初めて(?)「三途の川」をみたときのお話です。
いま、考えてみても不思議な経験でした。そして、あの”声”の存在は?
きっと”カミさま”だったのだと思います。
決してカミさんではありません(笑) (→うわっ、やってしまった・・・寒)

さて、気を取り直して(苦笑)、
そんな「三途の川」ですが、「この世」に実在している事をご存知でしょうか?

実は、私も知らなかったのですが、なんと群馬県に「三途の川」が実在しているそうなのです。


あの三途の川と死後の処遇を決める脱衣婆(だつえば)が群馬・甘楽町に実在した…ほとりの小屋では鬼の老婆がカッと目を見開き…
産経ニュース 北関東怪奇伝説 2016.10.1 01:00
(以下転載)

 現世とあの世の間に流れる「三途(さんず)の川」。そのほとりには脱衣婆(だつえば)という恐ろしい鬼の老婆がおり、川の渡し賃の六文銭を持たずにやってきた者から衣服を剥ぎ取り、その重さによって罪の軽重を調べ、死後の処遇を決めるという。「脱衣婆」、「三途川」そして「三途橋」が群馬県内に実在すると知り、恐る恐る足を運んだ。

 県中西部の甘楽町。車がひっきりなしに通る国道254号の下に夏草に覆われ、両岸をコンクリートで固められた三途川が細々と流れていた。

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※画像は記事とは関係ありません

 川をのぞき込んでいた橋の欄干には三途橋のプレートがあった。そして、橋のたもとに脱衣婆を祀(まつ)る姥子堂(うばごどう)(町指定史跡)という小屋がひっそりあった。

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※画像は記事とは関係ありません

 姥子堂を管理する宝勝寺の巌(いわお)良昭住職(42)に頼み、堂の中を見せてもらった。のぞき込んでみると、奥の棚の上に眼をカッと見開いた脱衣婆が鎮座していた。
 
 想像していたより温和な表情に見えた。これは、この身がまだ生きている証拠か…。
 
 巌住職によると、20年ほど前に脱衣婆を修復した際、水晶の眼をガラス玉にし、その際に目の色が青くなったという。 

 昭和30年ごろまでは、毎年4月19日に地元の老人が集まり念仏を唱え、屋台なども出てにぎやかだったという。「子供が悪いことをすると脱衣婆に言いつけるぞ、と大人に脅されたものです」と巌住職は懐かしそうに話した。

 姥子堂の建立時期は不明だが、文政3年(1820年)に書かれた「宝勝寺起立之書」には、行基(奈良時代の僧)が脱衣婆像を彫り、川の名を三途川と唱え、村人が堂を建て像を祀ったと書かれている。像と堂は焼失したため、江戸時代に再建したものという。

 巌住職は「鉄分が多いせいか川がまっかな血のように見え、それで三途川と名付けたのでしょう」といわれを説明した。

 うだるような暑さの中、三途川沿いを歩いていると大事なことを忘れていたことに気がついた。

 「今度会う時はお手柔らかに」と脱衣婆に頼んでおくべきだった。
(前橋支局 橋爪一彦)        

 
三途川は利根川水系白倉川の支流で、水源地から長さ約2・5キロ流れ、白倉川に合流する。三途橋は国道254号に架かる。脱衣婆が祀られる姥子堂は鍵がかかり、普段は入れないが、窓の隙間から見ることはできる。問い合わせは宝勝寺。群馬県甘楽町金井375の1。(電)0274・74・3375。

(以上、転載終了)

「三途川」は、なんと”一級河川”だったのですね!
しかも橋もかかっているそうでして、その名も「さんずばし」です。

dsanlihjo

だいぶ名称とのイメージとは異なりますが、実在しているのは確かです。
私も、一度、この地を訪れたいなぁ、と思います。